by Shun Kakinoki · Dec 16, 2021
世間では「言語化の重要性」が近年叫ばれており、思考を言葉にして整理することが重要視されているように感じる。それもそのはずで、言葉に落とす・紙に考えを書くことで人間の脳は活性化される内面的な側面的な効用はもちろん、外的にコミュニケーションをとる上では、言葉での会話はマストだ。だからこそ、言語化は社会で大きな仕事を成していく上では避けては通れない道である。
それ自体の重要性を否定する気は諸々ないのだが、言語化の限界・そしてある種のマジックみたいなのは存在しないだろうか。
そもそも人間は気まぐれ的な存在であり、極めて感情的であり、非合理の塊のようなものだ。
ましてや、人間が論理を用いて考えを展開する上においても、「嫌われる勇気」にもあるように、無自覚の上に考えが帰結的に展開されがちである。にもかかわらず、言語化のみに重点が置かれているのは何か違和感を感じざるを得ない。
もっと人間は人間らしく醜くて良いのだ。感情をひたむきにして曝け出して良いのだ。解放させなきゃ!
そのようなささやかな非合理性に自分は惹かれる。
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